デジタルって何?
−デジタル社会で生きぬくために−


 
2.5 教育

 昨今の若者はマニュアルがないと動くことができないマニュアル人間になっていると言われています。バブルのはじけた今、デジタル社会でどう生きていくのか、自発的に問題を発見していかないと生きていけない世の中であるのは間違いないと思います。今までの教育は、偏差値が高いこと→有名大学卒→大手有名企業入社というエリートコースを理想にしていました。最高クラスの偏差値をとって有名大学を卒業して、破綻した某銀行の元幹部の「他行でも同じことをやっているから」といったモラルの低下に見られるように、標準偏差値が高いこと=物知りで優秀という誤解をそろそろ解くことが必要だと思います。今まさに知的怠惰というゆがんだ状況にあると思います。

 教育現場が1970年代の学習指導要領に縛られて矛盾を感じながらも偏差値や内申書を重視するため、結局、目先の努力、狭い友情、小さな勝利に甘んじる現状になっているのです。1990年代前半から有識者によって個性と創造が重要だと言われてきました。歯車の一つの歯となって生きればよかったバブル時代から、どう新しいものに挑戦していくか、そろそろ学習指導要領をデジタル時代に合わせたものに変革することが求められます。

 昔から日本の教育水準は高いといわれてきましたが、最近のアジア諸国でのTOEFLの各国平均点を見ると、最下位であるモンゴルの490点より一つ上位にすぎない496点だそうです。ちなみに1位は中国の555点、2位は韓国の515点だそうです。また、現役の小中高生による理科の試験では日本は韓国、シンガポールと並んで上位3位以内にあるそうですが、98年OECD加盟27ケ国の成人を対象とした自然科学の試験では、何と最下位から2番目だそうです。受験勉強で詰めこんだ知識がはがれ、知の空洞化が進んでいるわけです。2002年から始まる学習指導要領の改訂に基づく「総合的な学習時間」に大いに期待したいところです。

2.6 規制

 1974年ノーベル経済学賞を受賞したフリードリッヒ・ハイエクはケインズ経済学を徹底的に非難したそうです。ケインズは政府の市場介入を正当化した経済学を打ちたてましたが、ハイエクは個人や企業の自発的(利己的)行動への規制は断固撤廃すべきだと主張しました。彼は次のような事例で規制撤廃を説明しています。
 数km離れた酒屋のあるA村と乳牛を飼う牧場のあるB村のお話です。B村のある男がお酒を飲みたくて道路もないA村に道を切り開いて行く。A村の別の男が生まれた子どものためにミルクをとりにいく。B村の男が切り開いた道をみつけそこを通っていく。二人の利己的な男の振る舞いにより両村を結ぶ道ができ、貿易が始まり、両村の福利が向上したというものです。

 このハイエクの説に従えば、11000に及ぶ規制がある日本でも機会損失は相当なものになるでしょう。 私は1980年代、今のインタネットの前進であるパソコン通信関連の開発に携わっていました。自ら手がけたシステムをまず職場で使おうということになり、パソコンの普及していなかった当時、ワープロでそれを使いはじめました。業務レポートというお堅いものに利用する頻度は徐々に減少していく一方で、飲み会の案内やゴルフコンペの案内といった個々人にとって重要な情報交換にはどんどん利用されるようになりました。

 業務ルールといった規制を職場で徹底していたなら、現在のEメールのように普及することはなかったと思います。 三菱総研の牧野昇さんのお話によると、1998年代米国の企業の11%が潰れ、12%が新たに誕生したそうです。わが国の場合、規制のおかげで6%しか潰れてないそうです。ただし、何も新しい企業が誕生していないというのです。どちらがよいか賛否両論があるかもしれませんが、デジタル社会では新しい企業の誕生が求められているのは確かですから、規制のあり方が問われるところだと思います。


(続く)