デジタルって何?
−デジタル社会で生きぬくために−


 

2.本論の骨子

 本論では、このデジタル社会を積極的に受け止め、そこにどう我々が責任をもって挑戦すべきか、日ごろ気づく矛盾点を例にあげながら提言を試みます。マルチメディアからデジタルへ(技術的にはデジタルだからマルチメディアが生まれ、というのが正論ですが)、デジタル時代の代表格であるインタネットに関わる事例から議論してみたいと思います。

2.1 インタネット

 技術的にはIPプロトコルに準拠したネットワークをインタネットと呼びますが、本文では自律分散的にだれでもが手軽に短期間で構築でき、しかも、どことでもコミュニケーションできるネットワークをインタネットと呼ぶことにします。元AT&Tのアイゼンバーグはかつて、「ネットワークに賢さを持たせるべきか」という問題提起をし、現在のIPプロトコルを基盤として世界津々浦々に広まったインタネットの存在を背景に、賢さをネットワークに集中配備すべきではないと主張しました。これは、回線交換(中央集権的管理体制の下、100年かけて築き上げた電話ネットワーク)は高価で希少なため、一元管理している電話会社が賢さをネットワークに配備すべきであるという従来の考えを否定しています。

 アイゼンバーグの考えはつまり、ネットワークはどこか一箇所による中央集権的管理ではなく自律分散管理が可能であり、どこか故障しても自動迂回可能な柔軟性があり、初期投資も少なくてすみ、意思決定も早い。だれが偉くだれが部下といった階層構造もない。

 このようなネットワークこそがこれから求められるものであり、それがまさにインタネットとなるわけです。これはちょうど日本のお役所や大企業で見られる旧態然たる組織構造が上下関係、命令指揮系統を尊重するものとはまったく異なり、上下に関係なくできる者に情報が集中し、迅速な意志決定が図られ、方向に誤りがあれば速やかに正す、といった新しい社会規範と考えても良いかもしれません。

 アイゼンバーグは自ら長年培ってきた回線交換によるネットワーク論を否定し、パケット交換という新しい時代の流れを受け入れ、自己否定とも受け取れるパラダイムシフトを提言しているわけですが、この自己否定こそインタネットがもたらす重要な考えだと思います。


(続く)