デジタルって何?
−デジタル社会で生き抜くために−

1.はじめに

「マルチメディアって何?自分で使うもの!」というタイトルで、キーボードアレルギー世代に「勇気をもって使ってみて下さい」と発信しました(電気通信協会発行:電気通信96年11月号)。中高年世代あるいは企業の幹部の方々に対して、自分が使えないことに目を瞑り若い柔軟な世代のお邪魔虫とらないように自ら触れて、その便利さに接してみることを提案したかったのです。
 

 私の家内に例をとると、パソコンを使うことを彼女は初め、躊躇していました。けれども、マッキントッシュの美しい字体に魅せられ、ワープロとしてまず使い始めました。また、自らが中心となって活動していたボランティア団体の広報の必要性に迫られ、2日間のホームページ演習講座に通い、一昨年10月、ボランティア団体のホームページを完成させたのです。ホームページの運用を維持して初めてEメールの便利さを知り、世間でいう人並みのインタネットサーファの仲間入りになったわけです。
 
 また、書道四段の家内にとって、年賀状をワープロに任せることは相手にたいへん失礼であるという考えが強かったようです。しかし、利便性、効率性に気付くと、必然的にそれを当たり前に使い始める。これがマルチメディアとは自ら使ってその良さを自分のものにすることだということです。 さて、今回は、やや言い古されたマルチメディアから視点を変えて、マルチメディアという考えをも包含するデジタルに焦点を当てて、デジタル時代に我々が何をすべきかを提案してみたいと思います。結論からいえば、勇気をもってこの変革の世の中に挫けることなく挑戦することです。自己責任のもとで勇気をもって挑戦することが21世紀の新しいデジタル社会を歩む者にとって重要だと考えます。

1.1 デジタルとは

 0か1か、白か黒か、有りか無しかで表現することをデジタルと呼んでいますが、米国人的なビジネスのやり方、YESかNOか、さらには長針と短針で表現していた時計を数値でわかりやすく表現することをデジタルと考えればよいと思います。これに対して長針、短針で表示する時計や日本人の会話でよく聞かれる「まあまあ」などはデジタルに対してアナログと呼びます。

 では、何故今、デジタルの時代なのでしょうか?ものごとを表現する方法にはデジタルがよい場合とアナログがよい場合とがあります。人間の声や音楽はアナログの世界です。バイオリンの音色がなぜ美しい響きとなって聞こえるのでしょうか?科学的に分析するとバイオリンの音色は波のような形をしていますが、それが規則正しく複雑なアナログ波形になっているのです。複雑さがますほど人間の耳には心地よく聞こえてくるそうです。一方、パソコンで文字を表現すると機械の中では8つの0か1、有り無しの符号(これをビットと呼びます)で表現されます。ですからパソコンを始めとして、コンピュータはもともとデジタルを得意とするわけです。インタネットで飛び交っているEメールやホームページはみなこのビットで表現されています。

もともとアナログである音声や映像もインタネットをなぜ飛び交うのでしょうか?アナログ信号をデジタル信号、つまりビットで表現することを大昔の方は発明してしまいました。アナログ信号をわざわざデジタル信号に変換してしまうのです。コンピュータの中で文字情報はもともとビットで表現するのですが、音声や映像もデジタルに変換するわけです。なぜ、そんなことをするのか。それはコンピュータという秒針分歩で技術革新が進む道具で処理しやすいようにするためです。処理しやすくすると文字と音楽を組み合わせる、文字と映像を組み合わせるなどしてより人間にわかりやすい表現が可能になるからです。コンピュータだけでなく通信の世界もデジタルになっています。まもなくテレビの世界もデジタルになります。

1.2 デジタル社会とは

 デジタルとアナログの原理原則はおわかりいただけたと思いますが、デジタル社会とは何でしょうか?すでに始まっているのでしょうか?MITメディアラボの創設者、ネグロポンテ所長は今から5年前にこういっています。「現在急速に進行しつつある第四の革命、デジタル革命は社会構造を根本から変えてしまう」と。

 デジタル化の波を分析するに、歴史を振り返ってみましょう。5〜6千年前にメソポタミアで文字が発明され、中国文明、マヤ文明に広がりました。紀元前1300年には書物が発明され、紀元前500年頃のギリシア時代にはホメロスの叙事詩が書物になっています。1400年半ばにはグーテンベルグによって活版印刷機が発明され、高級貴族にしか手にすることのできなかった書物ラテン語の聖書を大衆も手にすることができるようになりました。

それまで、聖書は修道院の修道士によって書写されており、1日精精4頁、1週間に25頁、年間で1200から1300頁しか書写できませんでした。その当時、聖書という重要な書物は聖職者と高級貴族にのみ許されていたわけですが、活版印刷機の発明でだれでも手にすることができるようになったのです。暗黒の中世に異論を唱え宗教改革を導いたマルティン・ルターは、1517年、教会の扉に95ケ条の論題を張り出しました。それが盗まれ、活版印刷機によって、欧州全体に瞬く間にひろまっていったのです。これまで上流階級のものであった書物がラテン語から多くの言語に翻訳され普及し、これが大学という制度の原型になりました。 デジタル革命とはまさに文字の発明、書物の発明、活版印刷の発明で実証されたように、社会構造が根本的に変わること、それも我々が気づかぬうちに変わってしまうことだと思います。

 仙台住まいの家内と東京の私がお見合いをして結婚するまでのコミュニケーションはアナログの代表格、電話でした。幸いにも電話会社に勤めているので、電話料金を気にする必要はありませんでした。ただ、私の仕事が終わって、なおかつ彼女が家にいそうな時間を狙って電話をするわけです。16年前の話です。しかし、デジタル社会の今、若者たちはEメールや携帯電話といったデジタル社会のツールを存分に使いこなしています。16年前とは比べようがない便利なコミュニケーションの手段が日常茶飯になって生活スタイルは変わってきています。 デジタル社会とは、便利なものを受け入れて活用することで、ライフスタイルやワークースタイルが従来のものと変わってしまう社会といえます。

(続く)