旭酒造・桜井博志社長講話 150729

「ピンチはチャンス、山口の山奥の小さな酒造だからこそできたもの」

〜逆境を好機と捉える経営改革〜

・桜井博志 1950年生 松山商科大学経営学部卒

・日本盛で3年学習後、旭日酒造入社、夏場に地ビール+レストランを

手がけ倒産寸前(年商2億円に対して1.9億円投資)、杜氏が来なくなって

・逆境をトリガに成功の道へ

 �‘�本酒業界の低迷がビジネスチャンス

  日本酒業界の出荷数量:1973年980万石、2014年335万石)と40年間で1/3に激減

  旭酒造も1973年2千石、1984年には700石と激減

  →1984年から30年間で数量16倍増、売上40倍に回復

 �∋咳�の過疎地(山口のど田舎)故にビジネスチャンス

  →外に市場を求める、売れる場所に直接進出、東京や世界へ

  →宅急便の普及で少量配送可能

  →コピー、ワープロの普及により自力で情報発信可能となった

 �8�内でコメ(山田錦)が手に入らずビジネスチャンス(山口農協と喧嘩)

  →全国の山田錦探し(兵庫、新潟、栃木、福島)

  →山田錦全生産量48万俵、旭酒造が必要なのは20万俵で不足を危惧、

  →富士通と協力し、長岡の農家にICT導入により山田錦栽培支援中

 �づ了瓩�FA宣言でビジネスチャンス

  →杜氏は農閑期に酒造り、収穫期は農業本業

  →夏に地ビール作りやりはじめ、レストラン事業にも手がけ1.9億円投資し3ケ月で撤退(年商2億円)

  →田島杜氏の高齢化65歳とあいまって杜氏は戻ってこない

  →社員だけで製造(杜氏の暗黙知の数値化・データ化)

 �セ裕┥�造制度の採用(業界常識の打破)

  →60m/12階建に常に冬の温度を維持するため全館空調

  →12Fから下に製造過程が進む、室内冬の温度を維持して

 �β舂免稜笋力斥�(一級、二級)からお客様の幸せ指向商品に(純米大吟醸)


○追記

・筆者は平成20年/2008年7月にまだ知名度の上がっていない旭酒造に初めて出会いました

・その後、獺祭は徐々に有名になり、平成23年/2011年10月異業種交流会で

桜井社長も参加され改めて獺祭を堪能しました